企画の構想からアウトプットまで半年。
その間、取材関係者、制作関係者を含め、メンバーは総勢70名超にまで膨れ上がった。
この期間でこれだけの関係者と制作したのは、私の出版人生の中でもなかなか得難い経験だった。
企画構想というはじめの一歩を踏み出したことが、半年を経て革命の旅路へと大きなうねりに膨れ上がった。

制作の後半は、出版物を制作しているというよりも、
時代が私に出版物を制作させている、社会が出版物を制作している、
というイメージが強かった。
いくら頑張って大人数で手掛けても、形にならないコンテンツはまったく形にならない。
今回はその真逆だった。
70名超のメンバーが大局的に同じ方向に向かい、
一つのコンテンツを作り上げていった。
過去にも似たような制作経験をしたことがあるが、それは、東日本大震災の年だった。
「コロナ禍」という時代を画するカタストロフの中で「DX」が出現し、
本作が作り上げられた、という表現が最も正しいだろう。

社会が作り上げた本作の陰で、
監修を手掛け旗を振り続けられた守屋実さんの存在は大きい。
5月には、本作の兄弟書籍である『起業は意志が10割』(講談社刊)を上梓された。
そして9月には講談社との共催で、
同書籍を教科書とした「守屋実起業塾」が開講される。
個人・法人問わず新規事業に取り組む方なら誰でも参加できる。
優れた事業企画には、守屋さん自らが500万円の投資も検討するそうだ。
興味のある方は、以下サイトをご覧のうえ、ぜひお申し込みいただきたい。

守屋実起業塾
https://bit.ly/2VhD2La

学びを通して人と組織がトランスフォームし、
新しい事業価値が生み出されることを願っている。


●今月のブログ

7月発売の『DXスタートアップ革命』(日経ムック)、校了しました
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2021/06/27/093541

7月刊行『DXスタートアップ革命』、ゲラがまとまってまいりました!
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2021/06/08/153208


●今月の雑感:非言語空間から起こる「革命」という空気の本質
7月8日刊行の日経ムック『DXスタートアップ革命』(守屋実監修)の
編集制作を通して、私はいま、リアルな「革命の現場」を目撃している。
なぜそう言えるのか。
それは、いままでの人生において、リアルな革命を2度体験したところにある。

第一の革命体験:1989年の東欧革命
一つは、1989年11月のベルリンの壁崩壊による東欧革命の体験である。
1988年夏にバックパッカーとしてシベリア鉄道経由でドイツに向かうなか、
ポーランド・ワルシャワでの出来事が革命体験の発端だった。
ワルシャワ市街で大学生に声を掛けられ学生寮に引き込まれ、
夜通しウォッカを飲みながら
「資本主義のことを教えてくれ」と連日質問攻めにあった。
古都クラコフのユースホステルでは修学旅行の子供の集団と出会い、
「日本ではソニーのラジカセが安いのか」「ホンダはすごいバイクか」など
延々と質問攻めにあった。

現地人たちの勢いに飲まれ、
プラハ経由でドイツ・ニュールンベルクから南ドイツに行く予定だった私の旅程が、急遽、目的地なしの旧東欧放浪に切り替わった。
チェコ・プラハ、ハンガリー・ブダペスト、旧ユーゴスラビア・ベオグラド、ルーマニア・ブカレスト、ブルガリア・ソフィア、トルコ・イスタンブールへと列車で移動し、空路にてパキスタン・カラチに飛び一泊、北京経由で日本に帰国した。

当時、旧東欧に足を踏み入れる「資本主義国家の人」は相当少なかった。
現地で出会ったアメリカ人といえばたった一人だけだった。
旧東欧共産圏というと、スターリンや毛沢東といった「粛清」(歯向かうやつは全員死刑)のイメージが強く、一言でいえば「恐怖」だ。
相当少なかった理由の第一は、ここにある。
だからこそ、「資本主義国家の人」である日本人の私は貴重な存在で、
いずれの国でも、とくにポーランド、ルーマニアでの質問は激しく、
かつ、「資本主義国家の人」として市民には丁重に扱われた。
街では軍人が機関銃を持って市民を威嚇し、夜になると市民の日本人への質問攻めが始まる。
旧東欧はそんな「空気」に満たされていた。

当時はもちろん、東欧革命という言葉すらなかった。
ベルリンの壁が市民のハンマーで壊されることなど想像もつかなかった。
当時あった唯一の東欧革命の予感は、
旧ソ連ゴルバチョフ書記長の「ペレストロイカ」だった。
この言葉を発端に、革命の空気は伝搬し、旧東欧圏を覆いつくすことになった。

私は1989年夏にも旧東欧再訪問を試みるが、
わけあってそれは実現できなかった。
が、それでも私が「空気」を感じられたのは、1988年のバックパッキングで知り合った旧東ドイツの友人たちの存在だった。
旧東欧圏でも郵便事情が優良だった旧東ドイツと日本とは、
比較的迅速なやり取りができた。
とはいえ手紙のやり取りは最速で片道10日間・往復20日。
当局の文面検閲が入ると片道1カ月はざらだった。
私はドイツ語の独和辞書、和独辞書をぼろぼろになるまで引き、手紙を読み、書きまくった。
共産主義をネガティブに記述した手紙は即刻破棄され、
発信人と受取人の氏名はブラックリストに記載された。
検閲破棄された郵便物もいくつかあったはず。
旧東ドイツ・ライプツィッヒの友人は筆まめで、東欧革命の模様を逐一手紙で
レポートしてくれた。

「彼氏が西ドイツに亡命しちゃったの!」
「このあいだ聖ニコライ教会の民主主義集会に行ってきた!」
「ライプツィッヒ駅前で3000人のデモがあったよ!」
「今度来たらトラバント乗せてやるぞ!」

といった、口語体学生トークによって東欧革命の「空気」を、刻一刻と共有することができた。
その間彼らは、「ところで日本はどうなのよ?」といった質問を投げかけてくる。
それがきっかけで、私は日本を本で調べることが増え、しだいに本の世界に入り、編集者、出版プロデューサーとしての職業を選ぶことになり、
今日にいたる。

第二の革命実体験:1995年からのデジタル情報革命
もう一つは、1995年からの「デジタル情報革命」体験だった。
思えば、ベルリンの壁崩壊からわずか6年後に起こった革命である。
詳細は割愛するが、1995年、インターネット接続機能がパソコンのWindows95に標準で組み込まれることでインターネットが急速に普及したのが革命の発端だった。
1995年8月に私はまだ小さな企業だったソフトバンクに入社し、
編集者として内側からつぶさにデジタル情報革命を見てきた。
同時に仕事として、デジタル情報革命をあおるような取材をしたり、編集をしたり、記事を書いた。
1999年のNTTドコモ「iモード」によりインターネットが手のひらに乗るようになり、いまのSNSの原型が生まれた。
2001年、ダイヤルアップIP接続からヤフーBBによるADSLメタルを経て光回線まで、常時接続が日常のインフラとなった。
これらをベースに、クラウドやAI、ビッグデータ、機械学習、ディープラーニングといった、新種の技術やマーケティング手法といった「道具」が数々と生み出され続けた。

そしていま、道具はそろった。
道具とはつまり、次の革命の武器である。
かつて革命の武器というと、アメリカ独立戦争や明治維新で使用されたライフルや火薬、ロシア革命で使用された言論や武装列車、フランス革命で使用された貨幣やギロチンだった。
いま、革命の武器は、「IT」である。

革命とは同時多発的な人間個人のイノベーション
革命とは、各人が申し合わせて起こるものとは異なる。
「空気」を通して革命の共通認識が伝わり、その共通認識が同時多発し、
ある時点からそれらが合流し、社会が大きくうねりを起こす。
そうした構造下で革命は起こる。その出発点は、人間個人にある。
テクノロジーなど人間外部の道具を駆使して「自分自身が変わっていく」という内部変革の実現が、革命の出発点である。
DXそのものが「カネもうけ」になりづらい理由もここにある。
「自分自身が変わっていくこと」に対して販売できる商品は無限大にある。
ゆえにキャッシュポイントが見えづらく、「カネもうけ」は困難だ。
言いかえると、専有化して総ドリが難しいことも、DXの特徴だともいえる。

命がけで陸に上がった魚は肺呼吸を獲得し生活圏を拡張した。
二足歩行にチャレンジした猿は「手」を発見し、自らの無限の可能性という未来をまさに手にした。
このように、生物の進化論そのものを革命として見ることもできる。

革命とはつまり、人類の未来への投資の集合でもある。

人類の未来への投資の事例として、『DXスタートアップ革命』をご覧いただきたい。
いま起こっている革命の一端を体感・共有し、
一つの行動のきっかけをぜひ手にしていただきたい。