先日、別府湾日出町でリゾート施設を運営する女性と話をする機会がありました。
波のない穏やかな湾で、東から昇る陽光と豊かな景色に囲まれた場所に施設があります。
地元クリエターによる内装デザインの宿泊施設や、地元食材による海岸のバーベキュー、SUPやカヌーの海上アクティビティなど、別府湾ならではのサービスをご夫婦で提供されています。
この方との話の中から、ふとこぼれ出すように、ロシア・ウクライナ戦争の話が出てきました。
その中で、「あのような惨状に対して自分はなにもできないが、できることは、地に足をつけて、こうした生活を一歩一歩歩んでいくだけ」と語られていたのは印象深かったです。
人・自然・心とともにある彼女らの生き方から、人・自然・心を破壊する戦争という真逆の現象が、ありえない現実として感受性の中へと浮き上がってきたのでしょう。
私たちも人・自然・心と共に生きることに、職業や活動の違いはあれ、違いはありません。
外部情報に振り回されがちないまのような時代に、自分の中に芯を持ち、生活を一歩一歩歩んでいく個人の行動こそが、世の中をこれ以上悪くブラさないための支えとなる、最大の武器になるのではないでしょうか。
改めて、対話や気づきの共有は重要だと、感じました。
こうした場は、本とITを研究する会や知活人で設ける予定です。
開催の際には改めて告知しますので、よろしくお願い申し上げます。
●今月のブログ
新刊『落葉』(高嶋哲夫著)を読みました
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2022/10/10/165547
●今月の雑感:「若者のすべて」 ~技術は世代とコミュニティを結び付けるか?
今年は意識的に、またさまざまな機会にも恵まれ、20~30代の男女との交流が多い。
20~30歳も年齢が離れた人たちとの対話は興味深く、気づきが多く面白い。
若者というと、アラン・ドロン主演、ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品『若者のすべて』(1960年)のイメージが強い。
即断、尻込み、純真、反逆、前進、後悔、など、登場する若者たちは基本、感情と行動のブレ幅が極端に大きい。
実際の私の目に映る20~30代たちは、謙虚な人、横柄な人、前向きな人、後ろ向きな人、気持ちの良い人、卑屈な人、さまざまだ。
むしろ気持ちの良い人は、私の同世代よりも格段に多い。
それは育った環境や教育によるものと思われる。
中高年と言われる私の時代は、いい意味でも悪い意味でも、ワイルドだった。
いい意味では、成長の過程において自然や人間同士のフルコンタクトが許された時代だったこと。
悪い意味では流血を伴う喧嘩やいまでいうパワハラ、命にかかわる事故がたびたびあったこと。
とくにいまのZ世代は、殴り合いの喧嘩や、教師から竹刀で叩かれたり、川や池、オートバイなど、事故リスクの高い遊びの機会はほとんどない。
1980~1990年代、私が若者といわれていたときに、
なんだかよくわからない私たち若者はひとくくりに「新人類」と呼ばれていた。
新人類と命名したのは当時のリーダーたちだった。
当時のリーダーたちといえば40~50代の戦争経験者が多かった。
さらに言えば彼らの両親は明治時代の富国強兵の教育を叩き込まれた人たちだった。
命令・組織至上主義の軍隊式空気で育った彼らからすると、
命令や組織に興味の薄い私たち世代は、なんだかよくわからない異世界から来た人種に見えたのである。
命令や組織に興味が薄かった新人類がすがりついた心のよりどころがあった。
それは、広告・テレビ・雑誌、また最近社会問題になっている新興宗教だった。
広告・テレビ・雑誌、新興宗教を、新人類は「自分の意思で選択したもの」とし、これらに飛びついた。
当時私は新興宗教にはまったく興味がなかったが、音楽とオートバイが大好きで、その意味で広告や雑誌の言いなりになっていた。
しかし当時自分は、自由な意思で選択しているとし、その錯覚にすら気づいていなかった。
いま考えてみると、思考停止である。
広告・テレビ・雑誌、新興宗教にどれだけ踊らされているのかという錯覚の度合いはあれ、少なくとも多くの新人類は、この枠組みの中にすっかりはめ込まれていた。
▲守るための「力」は、いま機能しているのか?
そんな新人類と戦中派では、世代間でかなり分断していた。
むしろ、かなりの分断が当たり前だと私は認識していた。
私はそれが嫌で仕方なかったが(いまでも)、先生・生徒、先輩・後輩、上司・部下、など、「力」の二層構造が当たり前であるという認識があった。
部活の先輩や会社の上司への絶対服従は当時の常識だった。
これも一つの昭和のバイアスに支配された空気だった。
逆に「力」は、若者を守る力として機能することもあった。
最も思い出深いのは、私が新卒初の上司だった深谷課長のこと。
小柄で恰幅がよく、基幹系システム開発とプログラミング、簿記会計の知識に富んだ方だった。
彼の口癖は「他部署や他の支社店からクレームが出たら、俺の名前を使え!」だった。
端的に言えば、「ヘマをしたら上司の命令だと言え、俺が責任を取るから」だ。
いまではまず考えられないし、当時でもここまで言い切れる人は他には知らなかった。
この方は期末に予算が余ると高額なIBMのDB2プログラミング講習に私を通わせてくれたり、新人には到底無理な輸出入システムの開発を一任してくれた。
休日には釣りに誘ってくれたり、私がヘマをして彼から説教を喰らった後には必ず居酒屋でご馳走してくれたりなど、当時は当たり前に思っていたが、いま思うとあれだけ気にかけてくれた人は少なく、また自分は部下にここまでできるのかと考えながらも思い起こす。
そうした貴重な出会いと体験があった。
本来、リーダーとスタッフの力関係は、こうあるべきだと思う。
口だけで責任の伴わない力とはまったく異なる。
責任の伴う力、である。
▲アルコールからWeb3へのコミュニケーションツールの変遷
こんな私の若かった時代にも、世代間交流という言葉がよく使われていた。
上司や先輩、新人類と、共に胸襟を開いて語り合いましょう、という交流だ。
そうした交流に当時は、飲みが非常に重要なツールだっだ。
当時も上司や先輩と飲みに行くのを(仕事外のノミニケーションとして)嫌がる人は少なくなかった。
私は飲めればなんでもいいという感じで、よく飲み歩き、上司に悪態ついていたりもしたし、上司が本音をポロリと出したり、飲みの場が社外コミュニティとして十分な機能を果たしていた。
アルコールを使い、社外に非日常の場を作り出し、語り合う。
これにより組織を保つ。
こうしたエコシステムがかつては働いていた。
そのエコシステムが現在はなくなり、さまざまな形に姿を変え、分散している。
その意味で、エコシステムを失ったいまは、組織が硬直している。
組織人たちはそれをよく自覚している。
だから彼らは、オープンイノベーションや共創という言葉をとても好む。
とはいえ組織内では、愛社精神や帰属意識という相反するマインドがこれらの言葉と衝突を起こす。
ゆえにオープンイノベーションも共創も現実では起こりづらい。
このジレンマを解きほぐすITツールとして、昨今はWeb3、DAOが注目を浴びている。
そしてこれらのツールが組織の再定義を加速させると期待されている。
▲人の本質と年齢は異なる
老若男女、合う者は合う、合わない者は合わない。
気品のある若者も中高年もいる。
下品な若者も中高年もいる。
謙虚で教養の深い若者も中高年もいる。
傲慢無礼で馬鹿な若者も馬鹿な中高年もいる。
Web3、DAOといったITツールが普及しても、文化開闢以来、この原理原則は永遠に変わらない。
「若者だから〇〇、中高年だから△△」というステレオタイプの判断は、思考停止である。
Web3、DAOというITツールが、こうした思考停止を増長するという強い懸念を私は持っている。
性別や人種を問うことがナンセンスになったいま、年齢を問うことも同様である。
若者、中高年、後期高齢者は、ともに年齢の離れた人たちにアクセスし、語り合う。
そこで得た新しい気付きや喜びと、自己対話しよう。
気付きや喜びが増えれば増えるほど自己対話の材料が増え、互いの人
生は必ず豊かになる。そして社会も豊かになると、私は信じている。