「本とITを研究する会」メンバーの皆様へ
数多くのメールの中から開封していただき、心から感謝します。
この一か月、いかがお過ごしだったでしょうか。
秋が深まる一方で、10月は台風や雨で日本列島は大変な状況でした。
被害にあわれた方々にはご冥福をお祈りします。
また、復旧中の地域の方は、一刻も早く日常生活が取り戻されることをお祈りします。
このメルマガ、今回で21号目を迎えました。
そしてこの時期を境に、「私は毎月なんのために書いているのか?」と、
考えることが増えてきました。
目的は、情報発信?、情報共有?、PR……?
いずれも、当たっているようで外れていました。
毎月続けるとなると、急用が入ったり、書くべき内容に苦心したりなど、
月次とはいえ、そうそう楽ではありません。
発刊継続の力を得るという意味でも、「私は毎月なんのために書いているのか?」を、
自問自答していました。
そして、あるときふと降りてきた言葉は、
「私は毎月心を届けるために書いている」です。
文字や言葉そのものに意味はなく、誤解を招いたり、人を傷つけたり、
文字や言葉には、ときにはネガティブな力も備わっています。
そうした文字や言葉の限界を認識しながらも、私は毎月、
心を届けるために、このメルマガを書いています。
お会いした人から、「メルマガを楽しみに読んでいる」といわれると、非常に勇気が出てくるし、
このメルマガがきっかけでセミナーや勉強会に来てくださる方、
また、その場で横のつながりを作られる方も多いです。
そんな方々と、文字や言葉を通して心がつながった瞬間を感じることが、
私にとっての大きな喜びで、幸福感に包まれます。
本とITを研究する会の人たちとのセミナーや勉強会など、
オフラインでのつながりをさらに深めるには、根気強く、
文字や言葉を通して、心を届けつづけることだと、考えた次第です。
時代の流れとしても、いまは「心の時代」に来ている、といわれてます。
世の中には「モノ」があふれています。
モノのインターネット「IoT」では、世界中の無数のIT機器がインターネットで接続され、稼働しています。
その反動としての、「心の時代」ではないでしょうか。
こんな時代に皆様に寄り添う場としての、本とITを研究する会であり続けたい。
そんな思いで、会の運営を強化してまいります。
皆様の引き続きのご参加、お力添えをいただけたら、とても嬉しいです。
●今月のブログ
神保町ブックハウスカフェにて「iSO式フラッシュ速読・親子速読プレミアム体験会」を開催
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2019/10/18/161205
9月28日(土)、地元商工会議所主催の「創業塾」にて登壇
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2019/10/07/154648
世の「救いのなさ」を徹底して描いた奇書:『チリの地震』(ハインリヒ・フォン・クライスト 著、種村季弘 訳)
http://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2019/10/03/183733
●今月の雑感:書籍の在り方の変容に「より戻し」をもたらすには?
出版界にいる人が耳にタコができるほど聞いているお題目は、
書籍の販売数は年々減少し、雑誌はさらに減少、という危機的な状況を示す
「出版不況」という言葉。
最近は、本当に、雑誌が読まれる機会が減ってきた。
かつては雑誌流通が出版流通を下支えし、これに乗って書籍は全国に配本されていた。
こうした構造がなくなったいま、書籍の多くは「雑誌化」しているとも言える。
2時間で読み切るような書籍企画が増える傾向にあり、東京駅で買って新大阪で読み切り、廃棄し、
新たな本を買ってもらう「消費」を促す本づくりがなされるとも耳にする。
書籍の雑誌化は、収益獲得の必要に迫られた状況から生み出されたものだともいえる。
かつては、書籍という「知識ストック」と雑誌という「知識フロー」が存在し、明確に棲み分けられていた。
いまや知識フローはWebに取って代わられている点も、雑誌の減少の明らかな要因である。
書店の減少も言うに及ばず。
こうした状況を目にし、日本人の知識は大丈夫なのだろうかと、いささか心配になる。
「出版は文化」と言われ過ぎた点が、こうした「資本主義経済」とのアンマッチを
引き起こしたという見解はごもっともである。
しかし、市場最適化を徹底した出版物ばかりが世にあふれることで、一体なにが起こるだろうか。
まずは、読者にとって読みごこちの良いコンテンツが優位に流通されること。
もう一つは、市場原理の最適化に迎合する作家さんが増えること。
読者は、学ぶことや説教されることも、出版物に求める。
これにより読者と作家さんは成長する。
ゆえに、読みごこちの良いコンテンツが市場を席巻することは、決してうれしいことではない。
市場原理に最適化した作家さんが増えることで、個性的な作家さんが生きていく場面が減っていく。
読者も作品に強烈な個性を求めることなく、「本って、こんなものだ」というあきらめの視点で、読書に臨むようになる。
出版界のこうした負のスパイラルを打開する必要性はしばしば叫ばれている。
書店のコミュニティ化や、他業種と組んだ販売・イベントのコラボがその打開策である。
しかし、いずれ決定打にはなっていない。
では、どこに負のスパイラルを打破する鍵があるのだろうか?
書店のコミュニティ化やコラボも路線としてはかなりいい線であるが、
「やり方」に問題があるように見える。
ここでも、市場最適化の視点が混在しているはずである。
もちろん、売り上げがないと書店のコミュニティ化もコラボも実現しない。
が、それが「あまりにも事業主目線になっていないか?」と提言したい。
先日、とある美術館を20年以上運営し、成功させている代表と話す機会があった。
印象に残っているのは、大企業の人間がときどき、「事業として美術館運営をしたいのだが、
その事業計画はどうしているのか?」「成功のコンセプトはなにか?」などといった、
短絡的なことを聞きに来るという。この代表はそれに違和感を覚える、と語られていた。
同じような「違和感」を、大手の書店が展開する新しいコンセプトの陳列や打ち出し方、
スタイルにも感じるとおっしゃっていた。
この、「違和感」という言葉が、私の耳にこびりついて離れない。
「出版は文化」という言葉で市場原理を打ち消し、良書が市場に流通するも、
同時に、市場価値の低い書籍も流通した。
良書とは、長期で見て価値が判断される書籍である。
ゆえに、その真贋が見極められるのに長い年月を要する。
事業として非常にリスクの高い商品が、書籍なのである。
それでも、「出版は文化」なのである。
「違和感」なしに、書店のコミュニティ化やコラボが実現できると、活動は実を結ぶはずだ。
その違和感を打ち消すものはなんだろうか。
それは、売り手と作り手の本に対する深い理解、である。
芸術に対する深い理解のない人に、美術館の運営は困難である。
だからこそ、この違和感を打ち消すために、本の売り手と作り手には、本を読んでもらいたい。
本に対する深い理解を手にし、新しい出版の世界を切り拓いてもらいたい。
本は誰のために、なんのためにあるものなのか。
本は、誰の、なにに対して価値があるものなのか。
そして本の存在意義とは、そもそもなんなのか。
じっくり考える機会を持っていただきたい。
若い出版人で、まったく新しい発想で編集や制作に臨む人も増えてきている。
こうした動きに私は注目している。
出版不況の打破、出版業界のイノベーションが求められているいまこそ、本を深く知る絶好のチャンスだ。
この機会に、本をじっくり読んでもらい。
魂の奥底から!
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今後もさまざまな学びと問題解決の場を設けていきます。
状況の変化は、随時DoorkeeperやFacebookなどでお伝えします。
ぜひチェックしていただけたら嬉しいです。
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本とITを研究する会 三津田治夫
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