年末年始、いかがお過ごしだったでしょうか。
新しい年の門出を祝うあったはずだった元旦早々、震災と飛行機事故に見舞われるという、厳しい新年でした。
被害に遭われた方々のご不幸に対し、心からお悔やみを申し上げます。
また、被災地と被災者のいち早い復旧と回復が実現することを願っています。
そのうえで、皆様においてはよい一年であることを、心から願っています。
そんな中、1月は本メルマガを運営する当社、株式会社ツークンフト・ワークスが7年目を迎えます。
また、2日には、56歳の誕生日を迎え、還暦までもう少し、という年齢に達しました。
会社においては、多くの方々の力でここまでやってこられ、感謝にたえません。
また、自分個人においては、56年もよく生きてこられたと、その運とご縁に深く感謝です。
いけるところまで一歩一歩歩み、やりたいこと、やるべきことをやり、
一度限りの人生を、悔いなく生きていきたいです。
●今月のブログ
『リチャード三世』を読みました ~イングランド・シェイクスピア・デスメタルの深い関係~
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2023/12/29/085554
バッハの大作をつづる、『ヨハネ受難曲』(礒山雅著)を読みました
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2023/12/15/223919
第44回飯田橋読書会の記録:『百年の孤独』(ガルシア・マルケス著)
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2023/12/05/110832
副業から生まれる新「資本」主義
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2023/12/01/083000
●今月の雑感:編集者が「欲しい企画」の罪
先日、編集者と未来の著者が集まる、とある座談会に登壇する機会があった。
登壇したのは8人の編集者。
私以外は全員出版社に属する編集者だった。
未来の著者(観客)に向けて、モデレーターから各編集者に投げかけられた質問に各々が返答する、という内容だった。
自己紹介に続き、第1問目が、
「持ち込まれるのなら、どんな企画が欲しいですか?」であった。
そこで出てきた1人目からの返答が、「売れる企画が欲しい」であった。
そして2人目、3人目も、同じ返答だった。
未来の著者(観客)を目の前に、プロの編集者が、
「売れる企画を持ってこい」とは、どういったものかと、正直耳を疑った。
企画を売れる物に磨き上げるのは、編集者の仕事である。
編集者が仕事を放棄していることを公言しているような印象であった。
私が出版社に勤めていたときも、
しばしば「売れる企画が欲しい」という言葉を耳にしてきた。
とくに経営層や編集長など、数字が即問われる立場の人たちは、
「売れる企画が欲しい」をお題目のように口にしていた。
このお題目、言いたくなってしまう気持ちはわかるが、一方で非常に危険なフレーズでもある。
なぜなら、「売れる企画」は、状況が悪化すると「売れればなんでもいい企画」に意味がすり替わる危険性をはらんでいるからだ。
実際に、そうして倒産してきた出版社や企業はごまんとある。
とくに出版物は、善し悪しなど、受け手への効果が見えづらい売り物(商品)だ。
▲「売れる企画」の起源
そもそも、いつから編集者が「売れる企画が欲しい」という言葉を使い出すようになったのだろうか?
それは、「良い企画」という言葉に起源を発すると私は考えている。
外部からの持ち込みや編集者が立案する企画として、「良い企画」が山ほど作られてきた。
文化的に価値が高い企画、売れる見込みが高い企画がある中、読者不在の「独りよがり企画」も混じっていた。
独りよがりもアートの領域にまで振り切ればそれはそれで勝ちであるが、
あるとき、強烈な出版意欲を持つ中途半端な独りよがり企画が出現してきた。
孫や愛犬の自慢話、共感の少ない自分史などがその代表格である。
「それでも、どうしても書籍として出版したい」というニーズに応えた格好で、自費出版というビジネスモデルが台頭してきた。
自費出版という言葉に劣化意識が染みついた昨今では、協力出版やカスタム出版、
また、書店での大量買取操作などを行い商業出版の形をとった事実上の自費出版も存在する。
かつて本にはアートの領域が存在し、それが許されていた。
アートの領域とは、書き手や出版社など、アウトプットする側が「良い」と判断して出版する企画である。
「良い」とは、社会的・文化的な意義や著者・出版社のブランド構築といった、定量化が困難なものに貢献する価値があるという意味での「良い」である。
しかしいまは、定量化が困難な企画に出版社が投資することが困難になってきた。
理由は、定量化が容易な出版物の先鋒としての役割を担っていた、
読者や広告主から短期的かつ定期的な収益を出版社にもたらす、
「良い企画」としての雑誌が消滅してきたからだ。
ご存じの通り、かつての雑誌の役割は現在はインターネットに取って代わられた。
出版社は、定量化が容易で、消費と購入のサイクルが円環する雑誌の存在を手放さざるをえなくなった。
では、雑誌のないいまの出版社が求める「良い企画」とは一体なんだろうか。
良いの指標は、定量化が容易な「売れる」といった要素である。
つまり、読者にお財布が開かれる本が「良い企画」の意味の大半を占めることになってきたのだ。
さらには、読者にお財布が開かれるスピードが早ければ早い(即座に反射的に買ってくれる)ほど「良い企画」であるというふうに、意味がすり替わってくるケースもある。
言い換えると、お財布が開かれない本、開かれてもあまりにもゆっくりな本は「良くない企画」であると、意味が転換してきたのだ。
確かに商売ゆえに、誰も買わないものを生産し、販売することで、
出版社が従業員に給料を支払うのは困難である(不動産収入など安定した営業外収支がない限り)。
しかし前述の、「売れればなんでもいい企画」の理論が通用しはじめると、
それを実行する人が出てくる。
金太郎飴のような創造性が希薄なコピー企画。
さらには、得体のしれない遺伝子組み換えや農薬たくさんで味や生産性が上げられた野菜のような企画。
「ばれなければ、検出されなければOK」みたいなマインドが蔓延する。
▲企画とは、能動的に取りに行くものである
本の効能は遅効性だ。
自動車のように、燃費や速度、耐久性といった、効果は目に見えるものでない。
ライザップのように結果にコミットするものでもない。
本の機能には、心や教養、人格、思想など、時間をかけて育まれるものが多い。
ゆえに、効果が見えづらい。
そして、定量化しづらい。
それゆえに、出版社は企画を評価しづらい。
本来、人間の心といった、身体に働きかける言葉の機能を持った本ではあったが、お金を指標にし、お金儲けの道具に変貌したともいえる。
ビジネスとしての言い分はわかるが、この考えをいったん取っ払ってみてはどうだろうか。
「売れる企画が欲しい」は、受け身以外の何物でもなく、一つの逃げでもある。
売れる企画は外からもらうものでなく、出版社と編集者が取りに行くもの、作るもの、育てるものである。
ひとまず出版社と編集者は、「売れる企画が欲しい」というフレーズを口にするのをのを、今年1年間でいいから、やめてみたらどうだろうか。
この言葉が聞かれなくなったころには、
出版社も編集者も能動的になり、積極的になり、創造的になり、
読者も著者も、出版社も書店も、少しずつハッピー度がアップするのではな
いだろうか。
新年にあたって、そんなことを考えていた。
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