今年は全国的にかなり厳しい猛暑です。
危険な暑さが続き、外出がはばかられるこの時期、
シュテファン・ツヴァイクの伝記作品『メリー・スチュアート』を読んでいました。

彼の『マリー・アントワネット』と『ジョセフ・フーシェ』に次ぐ、
歴史伝記三部作の最後の1冊です。

スコットランド女王のメリー・スチュアートと、
イングランド女王エリザベス一世の過酷な女の戦いを描いた物語。
メリー・スチュアートの生き様は、
同時代人のシェイクスピアに『マクベス』のアイデアを与えたとツヴァイクは語っています。

メリー・スチュアートを、女子力が高く統治力が低い悲劇のヒロインという切り口からみれば、
マリー・アントワネットというキャラの先駆者とも言えます。

大変興味深い作品ですので、いずれ書評をアップできたらと考えています。

●今月のブログ
第42回・飯田橋読書会『世界史の誕生』(岡田英弘著)の記録
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2023/07/27/085137

『昨日の世界』を読了しました ~3つの時代を生き抜いたウィーン作家の壮大な自伝~
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2023/07/14/094116

●今月の雑感:本の価値の本質は、その実体にある
近年、電子書籍が市民権を得る一方で、
「あえて紙の本で読みたい」という声をよく耳にする。
この時代、実体のある紙の本の価値が評価されるようになったのだと、
改めて、デジタルの影響力を感じた。

実体に関し、こんな話を思い出した。
SFドラマ、スタートレックに『セイサス星から来た少年』というエピソードがある。
意識だけで身体を持たない生命体が支配する惑星、セイサス星に取り残された地球人の少年が、エンタープライズ号の乗組員たちに救出される。
この星で生まれ育った少年は、実体を持った生命を知らない。
エンタープライズ号の乗組員という、実体を持った生命と巡り合うことで彼は激しく動揺する。
そして衝撃のあまり、彼は超能力を使い、乗組員たちとの間でさまざまな事件をひき起こす。
人間は実体と意識の生き物であることを暗示した、非常に深いストーリーだ。

人間は実体と意識の生き物である、と考えると、
人が紙の本という実体を求めるのには納得がいく。
これは、紙に刷られた文字が、デジタル上の情報と異なることにも関連する。
言葉とは、情報でもあり、身体から出てきた生命の一部でもある。
言霊(ことだま)という言葉がある。
言葉には命が宿ると古くから信じられている。
その意味で、言葉が刷られた紙が束となった本は、
人間に近しい精神的な存在ともいえる。
本を手元に持っておきたいという心理は、
紙の本が人間に近く、精神的な存在である証の一つだ。
この点が、デジタル上の本と紙に刷られた本との、決定的な違いである。

▲本は多面性の高いメディア
本が持つ役割を、改めて整理してみたい。

一つは、情報伝達のための本。
情報を手早く多くの読者に伝えるための本だ。
雑誌類がこれに相当する。

もう一つは、教育や啓蒙の本。
実用書や学術書がこれに相当する。

そして三つめは、楽しむための本。
エンタテイメント小説や娯楽エッセイがこれに相当する。

そして最後が、記録のための本。
アーカイブ化が可能で、5年後10年後にも読み返され、参照に値する本だ。
ベストセラーやロングセラーなど、結果としてこうなる本が多い。

Webは上記のすべてを兼ね備えた優れたデジタル・メディアである。
しかし、Webには決定的な弱点がある。
Webは第一に、一覧性に乏しい。
また、制作にかけられるコストが少ない。
さらに、メディアそのものに触れ、手に取り、人に渡すといった、固定的な実体が存在しない。
出版業界の動きは音楽業界の動きに似ているとは、よく言われる。
CDが売れなくなった音楽業界では、配信やライブ収入、会場でのグッズ販売などと複合して収益を得る、というビジネスにシフトした。

これに倣おうと、出版業界でもイベントや著者のサイン会など、
さまざまなPR活動が手掛けられてきた。
しかし、業界復活のための決定打までにはいたらなかった。
その理由の一つとして、出版業界は、音楽業界のような、
エンタテイメント性が伴うファン・ビジネスばかりではない点があげられる。
情報伝達、楽しむ、教育啓蒙、記録、といった、
本が持つ多面的な役割を確認する必要がある。
これらを「実体のある情報としての本」という視点からとらえると、
本の新しいあり方が見えてくる。

▲身体の一部である「知」を磨く
「情報」は、分量とスピードの面で、
デジタルに対してアナログに勝ち目はない。
そのような比較がされる時点で、
本が「情報」としてとらえられていることがわかる。
ここが、一つの課題である。
とはいえ、ビジネスは情報なしに動くことはできない。
書店のPOSデータをAIが解析し、
配本や企画立案に役立てるシステムが構築されたりもしている。

書店での売り部数が多ければ多いほど、
販売のスピードが早ければ早いほど、売れる本として評価される。
そしてさらに、売り伸ばしのための経営リソースが投下される。
本が企業の収益を得るための商品であるゆえである。

あらゆるものがデジタル化し、
デジタルの優位性が高まれば高まるほど、
実体のある情報としての本の価値は高まる。
音楽における「配信」対「レコード」のように
本における「デジタル」対「紙」といった、
デジタル化で出現した、オリジナルに近いメディアの価値の再評価、
でもある。

Web上のデジタル情報の分量や、AIが下す判断の速度に人間の脳に勝ち目はなく、
デジタルとアナログの比較自体ナンセンスだ。
重要なのは、こうした比較ではなく、
人がこれらの差異をどう見極め、出てきた情報をどう使うかである。

それら情報を通した判断と意思決定に、人間が責任を持つ。
つまり大切なのは、意思決定に必要な知恵を人が持っておくことである。
意思決定という人に重要な局面で、
人の力になるのは、人間に近い実体のある情報としての、本の存在である。

本は読むだけのものでも、書くだけのものでもない。
本は、人間のために使うものである。

そして、実体のある情報としての本を中心に、人が集まる。
人を集めるハブとして、本は機能する。

そして、実体の伴った本には、
読み手の心を震わす、実体からしか発しえない、強力なエネルギーがある。

本の実体と多面性に触れ、
身体の一部としての知を共有する活動の一環として、
私は共同で、編集者たちや実業界のリーダー、OBたちを中心に
読書会を定期的に開催している。

哲学、歴史、文学、宗教、社会学、など、古今東西のさまざまなーマを取り扱い、
一冊の本を手に取り、ひざを突き合わせ、本の多面性とともに、多面的な議論を展開している。

こうした場から、新たな知恵や発想、生き方、ビジネスのタネが生まれると信じている。
時代の変化と不確実性が高まるとともに、こうした確信は、日々高まっている。

* * *

今後も、さまざまな対話と交流の場の提供を計画しています。
状況の変化は、随時メルマガやDoorkeeper、Facebook、SNSなどでお伝えします。

【本とITを研究する会 Doorkeeper】
https://tech-dialoge.doorkeeper.jp/

【知活人】
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