本号のヘッダー文は、コラム風にてお届けします。

「出版不況」という言葉は、すでに30年近く耳にしている。
出版業界において景気のいい話はほとんど耳にしない。
日本の出版不況の話をすると、ドイツの出版業界の話題がしばしば引き合いに出される。
この国の出版不況はすでに脱したと言われている。

書店注文に従った計画配本や、書店員の有する専門資格制度など、
日本の業界との表面的な違いが語られてきているが、
より本質的なところに「すでに脱した」の要因があるはずだ。

日本の出版業界を見てみると、
近年は個人経営の小さな版元や小さな書店、ブックバー、オンデマンド出版など、
既存の出版の外にある、本に情熱を持った人たちの活動に動きが見られる。

変化は中核ではなく周縁から起こる、という。
日本の出版業界もそうなるだろう。

確かに、出版はビジネスである。
が、売買のために書籍という商品がたまたま選ばれた、といったような、
「出版ビジネスにおいて書籍が売られる意味」が希薄になってきたことが、
出版不況の本質であろう。

本を書くプロ、制作のプロ、編集のプロ、校閲のプロ、
営業のプロ、販売のプロ、流通のプロ、書店のプロ、など、
さまざまなプロが集まって本を作り、売る。
これが出版ビジネスの本質である。
こういった基本的な構造の在り方が、見直される必要がある。

大手書店チェーンや大手出版社に、本が好きでしょうがなく、
本のことなら何でも知っているという従業員は、全体の何割が勤務しているだろうか。

好きとビジネスは異なる、というが、
好きでないのにこうした専門性の高いビジネスはできるのだろうか。

鮮魚が嫌いな一流の寿司職人や、一流の寿司店経営者は、どれだけいるだろうか。

扱うものの専門性が高ければ高いほど、
いわゆるビジネスの物差しだけで仕事を測ることは難しい。

類似の課題が、日本の出版不況の表面ではなく、
根底に埋まっている気がしている昨今である。

●今月のブログ
今月の更新はありませんでした。

●今月の雑感:「複雑化」の問題を解決する、出版の役割
いま日本から、思想家や評論家、文筆家など、
世界全体を言葉で把握し、人々に伝える知識人がいなくなったと言われている。

専門用語を多用し、あたかも難しそうなことを語る人たちは多い。
逆に、物事の難しさの解体がほとんどなされないまま、
優しい言葉の言い回しで語ろうとする人も多い。

世界全体を努力して噛み砕き、抽象化し、言葉に変換し、
人に伝えるという仕事をしている人は、極めて少なく見える。

そんな印象を人に問うた。
すると、
「世の中全体が複雑化しすぎて、言語化しづらくなっているからだ」
という返答を受けることがたびたびあった。

確かに世の中は、複雑化している。
では、なにが複雑化したのだろうか?
それは、言葉の複雑化である。

世の中には言葉があふれている。
言葉が言葉を生み、言葉どうしが絡み合っている。
言葉の意味が希釈されていったり、本来の意味が見えなくなったりしている。
これにより、言葉の複雑化が生まれている。

貨幣という言葉の発明から、ITという言葉の発明へ
人はいままで、言葉を発明し続けてきた。
その大きな結果の一つが、貨幣という言葉の発明である。
マルクスやケインズ、シェイクスピア、ドストエフスキーといった、
かつての思想家や文筆家は、貨幣(お金)という言葉をめぐって、
さまざまな世界を私たちに言葉で提示してきた。
いま、このように、貨幣のような「何か」を通して、
私たちに言葉で世界の状態を説明してくれる人はいるだろうか。
そして、貨幣に代わる「何か」とは、いったい何なのだろうか?
いま、貨幣に代わり、生きていくのに不可欠な存在を表す言葉がある。

それは、「データ」である。
統計やAIに用いられる情報を持ったビッグデータや個人情報、SNSの「いいね」などのデータである。
データには、音声データ、画像データ、文字データなど、さまざまな属性がある。
また、それら属性に付随した多様な造語(専門用語)がある。
現にここでも、「ビックデータ」という造語が出てきた。
データを取り巻くITの世界には、専門用語といった造語が日々量産され、出現しては消滅する。

造語の量産は、物やサービスを販売するための
セールスとマーケティングにおいて行われる場合が多い。
人が言語生活に迫られて、
学者が学問のための言語定義に迫られて、
といった社会的な問題とは異なる。
一企業の営業活動のために造語が量産されている。

類似の構造で、ネット上で数字(PV)を稼ぐ「バズる言葉」も、一種の造語である。
Webライディングで使われるSEOの技術も、
ネット上で数字を稼ぐための造語に近しい言語運用テクニックである。

こうした、数字稼ぎのテクニックによりさまざまな言葉が生み出され、
さまざまな言葉に意味付けがなされ、造語の量産へと結びついている。

言葉はつねに生まれ、死ぬという運命にある。
そのライフ・サイクルは激しく、人間の能力がおよぶ速度をはるかに超えている。
その速度に、思想家や評論家、文筆家といった、言葉で世界を抽象化し、
万人に伝えるという、言葉のプロの仕事を萎えさせている原因がある。

さらにいまは、事象を万人に伝える手段として、数値やグラフによるデータを示す傾向にある。
国民の幸福度やお客様の満足度など、人の心の状態までをも数値化、グラフ化する。

数値とグラフによるデータは、わかりやすく、具体的である。
この発想は、ビジネスと投資の世界からきている。
経営者や投資家が、お金儲けという成功をゴールに、
人の心を動かすために、わかりやすく、迅速な判断が可能な具体的材料として、
数値とグラフによるデータを使っている。

そしていまや、ビジネスと投資から来た発想が、
思想や評論、文筆といった、言葉の世界にまで入ってきている。

▲「自分」をデータ化できるか?
言葉の世界でも、数値とグラフによるデータが求められる。
多くの数値とグラフによるデータが印刷されたトマ・ピケティの著作に評価が高く、
社会から支持を受けた理由は、ここにある。
より多くの数値とグラフによるデータは、信ぴょう性の高さへとつながるからだ。

そうした現実に直面し、思想家や評論家、文筆家は
「自分もデータを集めないと読者から支持されない……」と、データ集めに奔走する。
そして「割に合わない」と断念し、沈黙する。
つまり、「数値とグラフによるデータが出せないのなら、語るな」という、
お金儲けから発した原理が、それ以外の領域にも侵食しているのである。

では、世界のすべては、数値とグラフによるデータで表現できるのだろうか。
たとえば、人に、
「あなたの腕はどこからどこまでですか?」と問うたら、
どんな返答が返ってくるだろうか。
その人はどこからどこまでが腕で、どこまでが手首かを、
正確な数値データで知っているのだろうか。
おそらくこの人は、
「ここが腕だ。なぜなら、ここを腕だと自分が認識しているから」と答えるだろう。

この「自分が認識している」という、
「自分」という数値化困難な曖昧な基準が、この人の「腕」を定義づけている。
つまり、数値とグラフによるデータで「自分」という認識を表現することはできないのだ。

▲データにリアリティは高いか?
造語と同様、数値とグラフによるデータは、いくらでもつくることができる。
データは、痕跡も残さずにコピーもねつ造も可能である。
オリジナルかどうかもよくわからず、
どこまでねつ造されたものかわからないデータに多くを託すのは、
一つの宗教「データ教」である。

コピーもねつ造も痕跡を見せないデータに対し、
信ぴょう性はどれだけ高いのだろうか。
そのデータに、リアルな情報がどれだけ入っているのだろうか。

数値とグラフによるデータは、投資家や経営者、顧客の心を動かし、お金を生み出す。
WebページのPVやYouTubeの再生回数といった数値データはお金を生む。
ゆえに、人はデータを追う。
データにはリアリティや信ぴょう性が低く、ねつ造も容易だ。
それでも、人はデータを追う。

先日、がん闘病中の同級生が余命数か月の宣告をされた。
その彼と10年ぶりに会うことができた。
彼がぽつりとつぶやいた。
「お金は人から盗んで自分のものにできるが、命はそれができない」と。
死を目前にしたお金と命の比喩を口にした彼の言葉は重たかった。

ネットのアクセス数や数値データは、お金に変換される価値を持っている。
そしてこれらデータは、コピーもねつ造も可能である。
お金は盗んで自分のものにすることができるのである。

百万件のデータには価値がある。
顔面や音声の解析、経営の分析に、そのデータは貢献する。
しかしそれは、個人の価値とはまったく異なる。

造語や数値データによる客観化と、個人の命や心の問題は、まったく異なる。
それらが複雑化を通して混同されているのが、いまの世の中だ。

本来、私たちの言葉で表現されなくてはならない私たちの世界が、
私たちの言葉で表現されることを拒否している。
つまり、セールスやマーケティングの造語、経営や投資のためのデータといった、
膨大な数の、私たちの言葉でない言葉により、世界が表現されている。

そして、私たちを取り巻く世界が、私たちから日増しに離れていく。
海外とリアルタイムでやり取りができるようになった現実とは、真逆である。

言葉と意識において、私たちは、半径数メートルでしか認識がおよばないことが多い。
人はその範囲の認識で人生を完結させようとしているし、
また、世の中の構造がそのようになっている。

▲出版が果たす言葉のお役目
時代の閉塞を打ち破るツールは、言葉にある。
明治時代の知識人たちは、日本にない考えを西洋から取り入れるために、
膨大な数の言葉の意味の調査と定義を行った。

瞬間的な数字稼ぎを満たすバズる言葉や、PVを稼ぐためのSEOのなされた言葉ではない複雑化した世界を解釈・精査し、血の通ったリアルな言葉を共有する思想家や評論家、文筆家(ここには、ものを書くITエンジニアも含まれる)といったすべての知識人たちの仕事が、いまの世の中の言葉を打開してくれる。

そのために出版には、Webでも動画でもない、唯一無二の役割がある。
複雑化した世界を日常のものとするためにも、
出版への制作力、編集力を、ますます強化していきたい。
また、こうした考えを持った出版に携わる同志たちが国内に増えることを願っている。

* * *

今後も、さまざまな対話と交流の場の提供を計画しています。
状況の変化は、随時メルマガやDoorkeeper、Facebook、SNSなどでお伝えします。

【本とITを研究する会 Doorkeeper】
https://tech-dialoge.doorkeeper.jp/

【知活人】
https://chi-iki-jin.jp/